【クラス替え】友人関係は小説よりも奇なり。
どうもどうも、長靴装備系無敵ブロガーのminです。
4月。一般的に出会いと別れの季節と言われており、それを最初にイメージする人も少なくないだろう。
4月。そう、クラス替えの季節だ。私の一番印象的なクラス替えは中学1年から中学2年に上がったときのもの。中1の時に所属していた仲良しグループ内で私だけ別のクラスになってしまった。
ここで大抵の人が「あぁ私終わったー」と絶望されるかと思うが、私はそうではなかった。と言うのも、そのグループに所属していることに少し疲れを感じていたのだ。楽しくなかったわけでもないし別にいじめられていたのでもない。ただ方向性が違ったのだ。あんな女子女子可愛い系グループに間違って所属してしまったばっかりに、非常に不自由な1年を過ごしてしまった。
てな訳で、仲良し女子女子グループから外れられて些かほっとしていたのだ。
だがしかし。中2の新しいクラスをいざ冷静になって見渡すと「知っている人が一人もいない」とカオスでジ・エンドな状況を目の当たりにして軽くめまいを覚えた。
所属していたクラブの子も一人もいないと言う、何の修行だ?と問いかけたくなる状況。今なら友達作りもほどほどに「1人で過ごす」という選択肢が当たり前のようにあるが、中2の私は「友達いないから1人でいよう」と思えるほど強くなかった。
そんなクラス替えで見事あぶれた者がやることはただ一つ。同じようにあぶれた同業者を探すことだ。
私は辺りを見回した、「うぅ、出遅れたか?やばい、結構みんなもうすでに仲よさそう」
あたふたしていたとき、天使が舞い降りた。
「私ゆずって言うねん。友達になろう!」
「友達になろう」
そんな言葉を他者から言われたのは初めてだった。そもそも友達はどうやって始めるのか。クラス内におけるヒエラルキーのトップどもが「友達になろうって言って友達になろうとする人って嫌い」だのブンブン飛び回るハエのごとく言っていたがそんなこと関係ない。
「友達になろう」この一言で済む。面倒な手続きをすることなく、そんなに仲よくなかったとしても互いに了承し合うだけで友達になれるのだ。
ゆずちゃん(仮名)は私にとって天使で救いだった。
どうやらゆずちゃんも仲良しの子とクラスが離れたらしい。
ゆずちゃんの何が天使かって、とにかくもかくにもただただ可愛い。
ゆずちゃんと私は中2になって初めて言葉を交わしたのだが、私はゆずちゃんの存在を一方的に認識していた。
「あのこ可愛いな」と中1の時からゆずちゃんとすれ違うたびに思っていたのだ。
私の可愛い子センサーに見事引っかかり密かに憧れ、「話してみたい」と思っていたのだ。
そんな憧れのゆずちゃんからの「友達になろう」という女神さまかと間違うほどのありがたきお誘いを断るなどと言う選択肢はもはや私にはなく、
「はい、、是非」
こうして私とゆずちゃんは中学2年生の1年間、一緒に過ごすことになる。
とかなりドラマチックに私とゆずちゃんは友達になり2人で行動するようになるのだが。
結論から言うとそこまで仲良くなれなかった。
1年間一緒にいたが一度も学校外で会い遊ぶということをしなかった。
私も出不精だったし、ゆずちゃんも私と同じくらい出不精だったのだ。
それも仲良くなれなかった要因であるが、やはり「気心知れる友達」ではなっかたのだと思う。
私の中2は見た感じ問題なくゆずちゃんと楽しく過ごすことができたのだが、中学3年になってゆずちゃんとクラスが離れてしまったからは全く喋らなくなった。
廊下などですれ違ったら挨拶する「バイバイ友達」に見事成り下がったのだ。
「友達になろう」
この一言で友達にはなれるが、気心知れる友達になれるわけではない。
1年という期間限定な「派遣友達」を作るのであればこの一言は非常に便利だ。
だがそれ以上はもたない。
1年以上友達を続けるには派遣友達ではなく、特別仲良し=マブダチになる必要があるのだ。
「中2病」と何かと揶揄されているのかもてはやされているのかわからない時期に私は友達の儚さと切なさ、そして尊さを知ったのだ。
以降、私はマブダチを作るべく「友達になろう」と言って友達を始めることをやめた。
追記:いや、何度か爽やかなウブな人ぶって「友達になろう」とか言った気がする。大学生になってからは言ってません。